甘い嫉妬 後編 (真弘×珠紀)

珠紀の無言の走り去りから始まった追いかけっこ。
ばたばたと廊下を駆けて行く珠紀。
そして、その後を必死で追いかける真弘がいた…。



「オイコラ、待てよ!!」

追いかけてこなくていいのに、慎司君の教室を飛び出して追いかけてくる先輩。
この人に速さで勝てるわけがない。
追い付かれるのも時間の問題だ。
今の自分には先輩と話が出来る程余裕なんて無い。
どうしたらいいんだろうと泣きたくなってくる気持ちを抑えながら、逃げ道を探す視線の先に入った場所――――、女子トイレ

そこなら絶対大丈夫だろうとそこを目指して駆けて行く。
そして、なんとか先輩に捕まる前に逃げ込むことに成功した。
バタン!と扉を勢いよく閉め、そこに寄り掛かり息を整えながら、視線を巡らす。
トイレには誰もいないようだった。
教室棟の外れにあるからだろう、頻繁に使用されている気配が無い。
並ぶ個室の扉と、鏡、手洗い場が見える。
まだ呼吸が荒い。
それにこっちはまだ昼ご飯さえ食べていないのだ。
空腹に全力疾走なんて…、かなり身体に堪える。
肩で息をしていると、トイレの扉越しに人の気配がする。

「オイ、んなとこに逃げるなんて卑怯じゃねぇのか?
何があったってんだよ、言え!」

やはりここに逃げ込んで正解だったようだ。
でも、どうして先輩が怒っているのだろうか…。
怒りたいのはこっちだというのに。
とりあえず、早くここから立ち去ってもらおうと感情を乗せずに言葉を紡ぐ。
「何もありませんよ」
「何もなくていきなり逃げるのか、お前は!」
「逃げたわけじゃないです」
「逃げただろ!!」
これ以上言い合っていても埒があかない。
「先輩…、教室に戻った方がいいですよ。慎司君、困ってるだろうし…」
「あいつには悪いが、この際慎司のことは置いておいて…、今はお前だろっ!」
そう叫んだかと思うと、ことん、と自分が寄り掛かるドアの反対側に人が寄り掛かった気配がする。
それから、少しの間先程の言い合いと違って静かな時が流れる。
どうしたのだろうかと意識を扉の反対側へと集中させたとき…、


「頼むから…、一人で泣くのはやめろ…」


悲痛な声がした。
どうしてこうもこの先輩は気づき易いのだろう。
確かに珠紀の瞳からは涙が一筋零れていた。
しかし、気付かれないために声が震えないようにしたし、何事も無いように振舞ったのに。
「…っ、」
堰を切ってしまったかのように、ぽろぽろと流れる涙が止まらなかった。
「オイ、聞いてんのか?珠紀?
とりあえず…、何だ、その。俺がそっちに行くわけにはいかねぇんだから、お前出て来いよ」
「…いやです」
「んなっ!あのなぁ…」
トイレに備え付けられた鏡でふと自分の顔を見たら、本当にひどい顔だった。
こんな顔見られたくない。
ただでさえ、勝手にイライラしてしまった分、恥ずかしくてたまらないのだ。

「…ちっ、分かったよ!
お前がそっから出てくるまでずっとここにいてやるよ!!」

どかっとその場に座り込んだ音がする。
昼休みだってそう長い時間あるわけではない。
「先輩…、授業どうするんですか?」
「そんなもん知るか!」
いつも通りの先輩とのやり取りを繰り返し、少しずつ気持ちが収まってきていたときだった。


「あー、鴉取先輩ー。そんなところでどうしたんですかー?」


「ん?誰だ?」
女の子の声がする。
「鴉取先輩!さっき犬戒君の教室に来てましたよね?
今度は別の教室に来てくださいよ〜。何だったら今からでもいいですし!」
「いや、悪りい…。それはちょっと無理なんだが…って、ちょっ、引っ張るなよ!!」
ガタタッとトイレの扉越しに音がして、先程より少し声が遠くなる。
「いいじゃないですか〜」
「だから、離せって…」
向こう側で一体何が起こっているのか、想像すらしたくなかった…。
折角落ち着いてきていたのに、またもやもやとした気持ちが急速に生まれてくる。
「っ…、もうやだ…」
引いていた波がまたやって来る。
泣きたくなんか無いのに、止まってくれない涙。
力なくずるずるとその場にしゃがみ込み、膝を抱えて、小さくなるしかない珠紀。
「ねぇねぇ、そんなこと言わずに行きましょうよ〜」
「だから…、今あそこから離れるわけにはだな…。って、ちょっ、くっついてくんなよ!!」
珠紀の心の中でもやもやした気持ちが渦巻いていく。
黒い感情。
触 ら な い で
見 な い で
彼は私だけの―――――、

こんなに強い気持ちが自分の中にあったなんて知らなかった。
それなのに、今、私は何をしているんだろう…。
追いかけてきたはずなのに、結局、逃げて…、隠れて…。
あのとき、私に気付いて欲しくもなかったし、逃げた私を追いかけてきて欲しくもなかった。
それなのに、それとは裏腹にどこかでそれを嬉しく思っている自分がいる。
複雑なこの気持ちを何と表現すればいいのだろう。
まだ扉の向こう側では女の子と真弘先輩が自分の意見を主張し合っている。
ここで一人泣いていたって始まらない。
ぐいっと力強く手の甲で涙を拭った。
涙でぼやけていた視界がはっきりとしてくる。
すくっと立ち上がって鏡を見る。
さすがに充血してしまった瞳はすぐには元に戻りそうも無い。
でも、その瞳には先程と違って光が灯っていた。
強い意志と共に…。


ギィィと音を立てて、トイレの扉が開く。
訳も分からないまま自分を引っ張って行こうとする女子生徒と言い合っていた真弘がその音に気付き、振り返り視線をそちらに向ける。
そこには真っ直ぐとこっちを見て、珠紀が凛と立っていた。
「お!やっと出て来たな!
ったく…、この俺様に授業サボらせるつもりかよ」
真弘先輩が呆れた声を出しながらも笑顔を向けてくれて少し恥ずかしい気持ちになって下を向いてしまう珠紀。
そして、彼の腕を掴んだままの女の子が不思議そうな眼差しを真弘に向ける。
「鴉取先輩…、この人誰なんですか?」
「ん?あーっと、こいつはだな…」
女子生徒の問いから、しばしの沈黙。
その唐突な問いにどういう返答をするのだろうかと恐る恐る顔を上げると、うーん、と考え込んでいる先輩と目が合う。
そして、ニヤリと笑みを浮かべた後で口を開く。

「姫だな!!姫!!!」

(!??)
一瞬にして微妙な空気がそこら一体を包み込む。
珠紀ですら付いて行けない彼の発言。
「な…」
女の子がその力強い彼の返答に絶句する。
「そういうことだから、悪いんだけど手離してくれねぇか?」
固まった表情のまま、女の子は真弘先輩の腕から手を離し、そして、廊下へと消えて行った…。



さて、残ったのは珠紀と真弘。
「…真弘先輩…、さっきの何なんですか?」
呆れた声で、予想も付かないセリフを言ってのけた目の前の彼に尋ねる。
「んあ?間違ってねぇだろ、別に。お前、玉依姫なんだから」
そんな珠紀に向かって、ひょうひょうと答える真弘。
「それより…、お前結局何で逃げたんだよ?」
そう言って珠紀の顔を覗き込んでくる。
怒っているかのような声の調子ではあったが、心配しているようにも見えた。
なんとなくもやもやしたあの気持ちの正体を自分の中で掴みつつはあるのだが、それを言葉に出すのは躊躇われて、黙る珠紀。
「ったく…、それにしても大分目赤くなってんな…。お前目薬とか持ってんのかよ?」
「…っ、」
充血してしまった自分の瞳を見られることすら恥ずかしくてたまらないのに、距離が近い。
「だ、大丈夫ですから!見ないでくださいよ!!」
「な!何でお前が怒ってんだよ!」
「怒ってなんかないです」
「いや…、怒ってるだろ…。って、そういや、お前俺様の焼きそばパンどうしてくれんだよ?」
「は?」

いきなり話の中に出てきた「焼きそばパン」。
この人はさっきの「姫」発言といい、どうしてこうも次から次に変なことを言い出すのか。
「あのなぁ、お前がいきなり何も言わずに逃げるから、食べかけで慎司の教室に置いてきちまったんだよ!」
「……取りに戻ったら良いんじゃないですか?」
もう…、この人が一体何を考えているのか、誰かに一から十まで教えてもらいたい。
「今更取りに戻るのも恥ずかしいだろ!!」
「そんなこと知りませんよ!私に何をしろって言うんですか!!」
よく分からない主張を繰り広げる彼に向かって怒りに任せ何も考えずにそう口走った…。
ふむ…と、黙って少しの間何かを考えている真弘。
(あれ?何か変なこと言ったかな?)
黙る目の前の彼を見て、少し不安が募ってくる。
そして、しっかりと珠紀の方を見据え、真弘が言葉を発する。
「じゃあ、ひとつ、約束しろ」
「約束……ですか?」
「あぁ」
先程までと違って、急に真面目な雰囲気になるから、どうしても何を言われるのだろうかと緊張してしまう。
しばしの沈黙の後、真弘が真剣な眼差しで口を開く。


「泣くなとは言わねぇ。だが、一人では泣くな」


先程トイレにこもっていた際に聞いた悲痛な声とは違って、力強い声だった…。
「オイ、…分かったか?」
「…分か、りましたけど。それが約束ですか?」

「あぁ。何で今日お前が泣いたのかも気になるところだが、お前はその理由を言うつもりないんだろ?だったら、聞かねぇよ。だけど、その約束だけは絶対守れよな」

どうして自分が無言で逃げたのか。
どうして逃げ込んだ場所で泣いてしまったのか。
そして、あの「嫉妬」という名の黒い感情。
迷惑を掛けてしまったのは明らかなのに、彼はきちんと受け止めてくれる。
この人は何て心の大きな先輩なのだろうかと思いながら、今度は逃げずにきちんと彼の目を見る珠紀。

キーンコーンカーンコーン

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
午後の授業が始まる本鈴まで残り数分。
「やべっ!急いで教室戻らねぇと!
…ほら、行くぞ、珠紀」
そう言うと、少し照れくさそうにしながら珠紀に手を差し出す。
今朝も手を引っ張ってくれて、学校へと走って向かった。
そのとき以上に手を繋がせてくれることを心から嬉しく思った…。
もう彼女の心から黒い感情は消えていた。
フフっと微笑んで、そっと手を伸ばす…。

語られなかった物語。


完 初出:2007.06.17


あとがき

628Hit でのキリリク作品の続きです。
「語られなかったFD本編真弘ルートでのとある昼休みの話」

熱が入りすぎてしまって、長文の作品になってしまいました(あわあわ)
どういう展開にしようかとうきうきしながら何パターンかぼんやりと考えてみた結果ですが、私はこの展開がベストかな!と思います(自己満足/ 笑)
弱くもあるけれども、玉依姫らしく強い珠紀を感じていただければ幸いです。

それでは最後までお付き合いしてくださった方、ありがとうございました。
そして、素敵なリクをくださった方、本当にありがとうございます〜!