呼んで呼ばれて(真弘×珠紀)

あなたがいて、わたしがいる。
私があなたの名前を呼ぶと、振り返ってくれる。
ただそれだけで満足してしまって、用も無いのに何度も呼ぶ。
そんなやりとりがどうしようもないくらい愛しくてたまらないの。



いつもと同じ帰り道でいつものように少し前を歩く先輩の背中に声を掛ける。
「先輩…」
この少し離れた距離で相手に届くような、届かないような微妙な声量。
最初は小声で呟くように。
やはり自分の声は相手にまで届かなかったのか、相変わらずスタスタと目の前を歩いて行く彼。
とはいえ、声量を間違えれば気付かれるかどうかの瀬戸際。
いたずらを仕掛けているようで思わず心臓がドキドキしてくる。
その緊張感を楽しんでいる自分の存在を確認して、自分ってこんな人間だったのかななどと冷静に考える。
何も知らない先輩の後ろを付いて行きながら彼に隠れてこんなことをしているだなんてばれたら怒られるだろうかとも思う。
でも、こういうことをできる相手は先輩だけなんだよ。
からかっているわけじゃなくて、ただその後ろ姿を見ていると自然と名前を呼んでしまいたくなるだけ。
最初は普通に呼びかけて、それに振り返ってもらって会話が始まった。
いつの頃からこういうゲームを始めるようになってしまったのだろう。
思い起こせば声が小さすぎたことが原因でその呼びかけが彼まで届かなかったことがある。
おそらくそのときの感覚を呼び起こしたいのかもしれない。
まぁ、そういったこととは何も関係なく、ただ自分の中の隠れたいたずら心がくすぶられているからなのかもしれないけれど。

そして、そこまで冷静に自分の行動を考えていることが次第におかしくなってくる。
自分の行動に正当性を持たせて一人で勝手に言い訳をしているようでもある。
そんな自分にニヤリと笑った後で、また声を掛ける。

「真弘先輩っ!」

今度は相手に必ず聞こえるほどの声量。
スタスタと規則的に歩いていた先輩がぴたりと立ち止まって振り返る。
「ん?」
何か用かとでも言いたそうにきょとんとしている。
そして、自分の名前を呼んでおいて黙ったままの珠紀の様子にますます不思議がる。
そんな先輩と目を合わせたまま、にこりと笑って言う。
「いいえ、何でもないです」
「はぁ?何だそれ」
珠紀の言葉に驚き目を丸くして、余計に不思議そうにする。
きょろきょろと視点を動かして何かを考えているようだ。
それでも答えが出ないようで、うーむと真剣に考え始めてしまった彼に助け舟を出す。

「ただ呼んでみただけですよ?」

そう言って立ち止まったままの先輩を抜いてゆっくりと先を歩く。
しばらくして自分の後ろから足音が聞こえ始める。
振り返らなくてもその足音が誰の物かは明らかで、きちんと自分の後ろを付いてきてくれていることに安心しながら歩いて行く。
ただまだ何か納得の行かないところがあるようで黙ったままの真弘。
きちんと説明しようにも、そのやり取りから生まれる気持ちをどう説明したらいいのか。
今度は珠紀が考え込む番。考えながら歩いていると、ふと自分に掛けられる声。
「珠紀!」
その声に立ち止まって、「え?どうかしました?」と言いながら後ろを振り返ろうとすると、その後頭部にぽんと優しく手が添えられる。


「呼んでみただけ」


ぼそりと側で囁かれる声。
一瞬にして顔が熱くなるのが嫌と言うほど分かってしまう。
先程自分が先輩に向かってした行動とたいして変わらないはずなのにどうしてこうも違うのか。
添えられた手の温度からか、その囁かれる声の近さからなのか…。
「俺様をからかうからだよ!」
そう、してやったりと言わんばかりに満足そうに笑ってまた自分の前をスタスタと歩き始める。
その後ろ姿を見つめて追いかけながら熱くなった自分の頬に片手を添える。


からかってからかわれて。
呼んで呼ばれて。
そんなやりとりもどうしようもないくらい愛しくてたまらないの。


完 初出:2007.11.07


あとがき

珠紀が想像以上に乙女になってしまった気がします、むぅ。
好きな人相手だったらどんなやりとりでも幸せを感じられる。
それが周りから見たら些細でどうでもいいことでも、珠紀にとっては大切なものなんだろうな、と。

それでは読んでくださった方、ありがとうございました。